発達障害について(3)発達障害は単なる努力不足ではない

教育

前回に引き続き、発達障害について書いていきたいと思います。

前回、発達障害に関する大事な点として、

個人の自由意志が原因ではなく、

すべて中枢神経系に原因があるとされていること

を述べました。

(この考えも、一つの世界像の提示であることに変わりはありません。)

そして、このことは、今回のテーマである

「発達障害は単なる努力不足なのか」

という問題に関わってきます。

〇「発達障害は単なる努力不足なのか」

ここでは、精神障害の例を挙げます。

うつ病の例を考えてみましょう。

うつ病は、甘えであると考える人がいるとします。

一般的に主張や言論の妥当性を検証する際には、

その主張の根拠を確かめる必要があります。

すなわち、論理の問題です。

主張が適切な根拠に基づいた推論によって行われているものなのか、検討してみましょう。

例えば、うつ病が甘えであるという主張をする際に、

根拠として、自分の経験則を持ち出す場合があります。

(自己の経験は、様々な主張の根拠としてよく用いられます。)

「私だって、苦しいのに頑張っている。」

「あなただって、やる気さえあればできるはず。」

これらの主張には、いくつか問題点があります。

まず、「苦しさ」が主観的なものであり、

目に見える形で定量化し、他者に提示することが難しいという点です。

うつ病の経験者でもない場合、苦しさを想像することがどこまで可能なのでしょうか。

そもそも、他者の苦しさを完全に理解することなど可能なのでしょうか。

つまり、自分の経験が他者にどれほど妥当するのか、

想像力に欠けている点が問題となります。

さらに、「やる気」を出すことは、自分の意志で可能なのかという問題です。

このような主張の背景には、

人間には、自由意志があるという独断が隠れています。

自由意志は、哲学的に重要な概念ですので、今後も扱うことが多いテーマです。

うつ病の場合、神経伝達物質の問題があり、薬の服薬が必要になる場合があります。

私たちが普段、自由な意志で行動していると考えていることは、

一旦立ち止まって考え直してみると、本当にそうなのか分からなくなります。

例えば、健康な身体であるからこそ、できることは多いのです。

(私は、風邪をひきやすい体質なので、よく実感します、、笑)

つまり、うつ病が甘えであるという主張の背景には、

少なくとも主観的な独断が隠れていることが分かります。

同様にして、発達障害についても考えることができます。

「発達障害は単なる努力不足である」という主張は、

主観的な独断に基づいているということです。

中枢神経系の問題は、明確なハンディキャップであるはずなのに、

発達障害が主観的な独断によって判断されやすい背景には、

心が目に見えないことが、大きな理由としてあります。

発達障害とは、見えにくいから気づかれにくいものなのです。

視覚的に理解を得やすいハンディキャップの場合、周囲も理解を示すことがありますが、

精神障害の場合、内面を想像するしかないので、積極的に理解をしようとする姿勢や、

障害に対する知識が前提になければ、独断的な判断を下してしまう可能性があります。

そのため、怠けていると誤解されたり、馬鹿にされたり、叱責されたり、周囲からの理解も得られず、

体罰や虐待などの重大な事例につながったりする場合が起こるのです。

これらの問題の背景には、発達障害に対する認知の問題が隠れているのです。

そのため、柔軟な認知をしながら、対処方法を考えていくことが、問題行動へのアプローチになります。

なお、自由意志については、哲学のトピックで詳しく扱う予定です。

次回は、「問題行動への対処方法」について書きます。

読んでくださり、ありがとうございました。

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